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落ちこぼれしょーまが殻を破り楽しく人生を生きるワケ。しょーまのプロフィール

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どーも、ACTIBASE編集長のしょーまです!

しょーまって誰なん?なんでこんなことしてるん?って方多いと思います。

ごく普通だけど波乱万丈に生きてきたしょーまがプロフィールを全力で書きました。

是非ご覧ください。

簡単な略歴。

谷合 翔馬(たにあい しょうま)

1992年1月30日生まれ 現在24歳。

成蹊大学卒業。

商社に就職。

アウトドアを好きになり過ぎて、独立を決意。

毎週、山かキャンプに行っている。

新しいこと、楽しいことが大好き。

宇宙人生まれる。

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1992年1月30日谷合家の次男坊として生まれる。

色白で地毛が茶髪。顔面以外は外国人だった

保育園の運動会、障害物競走では、人がその障害物に対してどのように行動するか見てから自分が動くという超慎重だった。

しかし、成長するごとに気が強く、負けず嫌いとなって、

パワプロで負けるとブチ切れ、遊戯王で負けてもブチ切れ、下校時に兄貴の方が家に早く着いただけで悔しくて泣きまくる少年

 

自分ブランディング小学生

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人と同じなのが嫌だったため、帽子を自分のトレードマークとして常にかぶってた

あと、とにかく小学生の時から面白いことが好きだった!

当時やってためちゃイケの「クイズマジオネア」をパクって、仲のいい友達と自分達で面白い問題作ってクラスメイトにチャレンジさせたり。

目をつぶってダッシュで家まで帰れるかチャレンジ!をして開始5m位で木に激突したり。⇨泣いて帰った。

移動教室で友達が拾ってきた卵を「孵化させよう」って言ってみんなで温めたり。⇨結局落として割るし、普通の生卵だったし。

などなど、楽しい事で溢れていた。

一方で運動は大好きだったんだけどポンコツだった。

6年生でも身長130cmだった俺は一年生から背の順では一番前で、常にあの腰に手を当てるポーズを決めていた

高校まで体毛が一切生えない程、成長期が圧倒的に遅かった俺は、50m走9秒台と足もゲキおそ。

兄貴がやってたから少年野球を始めるも、常にベンチだった。

お情けで大事な試合に出してもらったけど、エラーしまくって速攻交代。⇨号泣。

別の大事な試合では、負けていたが最終回に打席が回ってきてなんとかファーボールで出塁!盗塁して2塁に行きチャンスを作るも、牽制で刺されてゲームセット。⇨号泣

と、役立たずでチームのみんなに迷惑かけるし、もうチームプレーのスポーツはしないと決めた。

チビで運動できない、それを隠すためにかわからんが仕切りたがり屋で主張が強かったため学級委員的なこともしていた。

塾も野球もしていて、毎日休み時間はサッカーして、面白い事もたくっさんしてたので、友達も多く超楽しかった!!

 天国地獄中学生。

小学生では3年生から塾に通って中学受験組に混ざって勉強していたが、普通に公立の中学に入学。

小学生で5年間やってた野球をやめて、兄貴がやってたテニスを始めた

しかもソフトテニス、チームプレーじゃない、痛くない、厳しくないのいいとこ取り。

野球をやってたからか最初から普通に打てて、何これ最高じゃん!

そしてテニプリの影響を受けてスーパースライスサーブやブーメランスネイクなど技の習得に励み、毎日の部活動と土日にある試合などガンガンやってた。

ソフテニはダブルスしかなくて、ペアだったナオヤとは大の仲良しになって部活がある日もない日も遊びまくってた。

ただ俺は圧倒的に本番に弱い

団体戦で都大会に出た時のことだ。

いつも通りテニスをしているはずなのに、どんなにラケットを振ってもボールに当たらなかった。

みんなが頑張って戦っているのに、自分の力を出せないことが本当に悔しかった

もちろん、俺の試合は完敗。そのせいで団体としても負け。

やっぱ、俺スポーツ向いてないって実感したし、何より他人に迷惑をかけるかけることが嫌だった

そこから、ガチで努力努力努力ってするのがイケてる人だけど、俺は半分諦めなあなあとテニスをしていた。

ふざけてやっていた訳でもなく、上を目指す訳でもなく、ただただ楽しくテニスをしていた。

総じるとテニスは楽しかったし、後輩も超仲良くなってやってて良かった、という感じ、超普通。

 

野ブタ。をプロデュースで号泣。

俺は中学3年生で圧倒的に孤立した。理由はまだわからない。

強いて言うならば、”小さいくせに気が強かったから”だろう。

同じ小学生の多くがその中学に行くため、最初から友達も多く、小学生の頃と変わらず、休み時間にサッカーをして部活がない日はカラオケ、ゲームなどをみんなでして、どんどん友達を増やした。

悪グループも部活ガチグループとも仲が良く、最高に楽しい日々を過ごしていた。

しかし、状況は一転する。

ある時を境に今まで友達だった奴らが急に敵となり、その周りの人達は傍観者という立場についた

もともと好きじゃない奴はいた。そいつとは対立していた。

そんな人は多いだろうし、普通のことだ。

問題は周りの奴らがそいつ側についたこと。中学入学後に超仲良くなった奴も小学校で友達だった奴もあちら側にいた。

1年生2年生と一番仲よかった奴が手のひらを返したように態度が変わった。

他人がしているからと周りに流され、操られている人達を見てゾッとした。

敵グループにいない友達だった奴らは話しかければ、話してくれたのかもしれない。けれど、わからなかった、誰が敵で誰が敵じゃないのか。そして何より、哀れみの目が嫌だった。

俺が思ってた「友達」という概念が一瞬で崩壊した。というよりは本当の友達なんて一人もいなかったのかもしれない。

でも実は、特に何かされたわけではない。

国語の授業中に後ろの席から殴られて、別の授業の時にまた後ろからシャーペンで背中を軽く刺されたくらい。

上履きを隠されたり、落書きされたり、モノを捨てられたことはない。

もう誰も信じない。友達なんてクソ。ファックユーって感じで開きなおった

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孤立してからも学校を1日も休まなかったし、親にも何も言わず耐え忍いだ。

友達のいない修学旅行は死ぬほど、地獄だよ?w まさに試練。

その時にちょうどやってたドラマ『野ブタ。をプロデュース』が大好きだった。

山ぴーカッケーって。

そのドラマの中で主人公のシュージがいじめられるんだけど、それが自分の経験と超リンクして号泣してた。

今思えば、今思えばだけど、これを経験して良かったと思う。

人を見極めるようになったし、一人になれたし、自分は自分の道を行こうと決めれた。

ただ、一つだけ後悔していることがある。

孤立してた俺に「バンドをやらないか」と言ってきた女の子がいたんだ。まさに女神だね。救世主。

でもその時の俺は「どうせまた裏切るんだろう」と、人間にはウンザリしていたし、助けられたくないという無駄なプライドもあって断った。つくづくカスだね俺。

本当にその人には謝罪したい、お礼を言いたい。

 

しょーま高校デビュー!!

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おっしゃあ心機一転、谷合翔馬の新時代の始まりだー!!

V字回復してやるぜー!と、速攻でクラスの学級委員に立候補!!

そして、今度は硬式テニス部に入る!

しかーし、高校にはテニスコートは3面しかなく、男子テニス部、女子テニス部、女子ソフトテニス部が存在するうちの高校では、一年生は前庭で練習でもしとけ、という風習があった。

ソフテニの経験もあり、テニスは割とできたので一年生から選抜されるも、ほとんどが前庭での素振りやボレーボレー。それに飽きた俺たちはラケットとボール使ってゴルフをしていた。

なんだこりゃ!ゴルフ部か!俺はテニスがしたくてテニス部入ったんじゃ!!とフラストレーション。

朝練だけは一年生がテニスコートを使うことができた。そこで事件は起きた

というか起こしてしまった。

ある日のこと、普段滅多に練習にこないテニス部の顧問が形相を変えて、われらの方にやってくるではないか。

顧問「女子テニス部のラケットから振動止めがなくなったんだが、お前ら知ってるか?」

しょ(んなもん知るか、練習中に吹っ飛んだんだろ?ん?、、、いやチゲェ、俺が持ってるこれじゃあ)

日々の練習で、振動止めを吹っ飛ばしてしまった俺は、うおっ部室の貸し出し用のラケットに振動止めついてるやんけ!と振動止めを拝借していたのだ。

しょーま「、、、、、これでしょうか?」

顧問「ちょっと職員室まで来い。」しょーま「ファッ!?で、でもこれは男子テニス部の物では、、?」

職員室に連行される俺。事情を説明するも普段仏のような顧問に怒鳴りチラされ

顧問「明日からテイガクな。」しょーま「定額?い、いくら払えば、、」顧問「明日から自宅謹慎だ。」

そう停学!!!うおー1年生でいきなり停学!!!!

その後3日間自宅謹慎をした。毎日、日記?みたいなものを書かされた。。

復学した後も先輩に「お前のせいで試合出れなかったから、これから毎日校舎の周り10周な。」と言い渡され、毎日マラソン大会が始まるのであった。。。

その生活を何ヶ月かして、マラソンの刑から解放された時、

先輩には頭上がらんし、一年生はゴルフ部だし、「俺はもうやだ!」とテニス部に行かなくなった。

そして俺は旅に出るのであった。

日本高校生板スタンドバイミー。

その位の時に海外ドラマ『The OC』を友達に勧められ、どハマり!

旅に出て映画を撮りたい!!と新潟に別荘のあった俺は友達とそこに旅をすることを決意。

男子6人の旅は始まった

家族はおらず友達だけと行く初めての旅。

もちろん金はないので、全て鈍行!東京から6時間かけて新潟へ!

別荘のマンションには温泉もついてて、カラオケも卓球もあり、ウォオォオ俺らの基地やーって思考に盛り上がった。

しかし、雪の降る前の新潟。スノボーもできないし、車がないと行くところはない。

暇だなーとなった時に、なぜか13キロ以上先のイオンを目指した。徒歩で。

スタンドバイミーっぽく歩いていたが、まあただの田舎の幹線道路を歩いていたわけで、何もハプニングなんて起きないわけで、なぜかイオンを目指しているわけで。

途中にあったボーリング場に寄ってビリヤードしたり、廃墟に寄って真昼の肝試しをしたり、何やかんやで7時間くらいかけて、無事イオンにたどり着いた。

もちろんイオンだ。東京にもあるし、特に何かを買いに来たわけでもない。

ただただアイスを買って電車でマンションに戻った。

でもその頃の俺たちには、その意味のないことで笑い合えたし、本当に楽しかった。

楽しすぎて、映画を撮ることなんて忘れていた。

 

そして俺は2年になる。

2年生からはある程度、テニスコートが使えるようになったのでまたテニス部に戻る。テニス部のみんなこんな調子のいい奴にも寛容でありがとう。

1年生の時に一緒に停学をした蛇神さんとペアを組み、テニスに全力モード。

ヤベェ、テニス楽しい。と学校以外のテニス教室にも通うようになる。がやはり、基礎練習を怠っていたからか特に記録も残せず。

そこでまた停学の悪夢は繰り返されるのだが、ここでは割愛。

高校3年生 堂本剛になる。

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2年生の終わりに塾に入り、受験勉強を始めていた。それまでは一切勉強をせず、定期試験の前日に徹夜で頭に入れ込むような奴で、遊びとテニスに全力を尽くしていた。

俺はやると決めたらやる男で、塾に入ってからは誰よりも早く塾に行き誰よりも遅く塾を出る。という生活をしていた。

夏は、朝から晩まで塾に行き、夜中は友達と勉強し、1時間半睡眠をして、また塾に行く

選択科目を誤ったために第一志望の立教大学を受けれなかったことは置いといて、相当勉強した。

英語だけはすぐに伸びて、学校でトップクラスになった。

もう一つハマっていたのが堂本剛で、学校の雑誌から堂本剛のページを切り取ってしまう程好きだった。⇨図書館のおばちゃんゴメンなさい。

そんなある日、俺の人生で最も輝く瞬間が来る。文化祭だ!

受験生の俺たちは、勉強あるし事前に準備の無い、飲食店でいいんじゃねとか思ってたけど、我らの担任は違った。

担任「このクラスは劇をやります。

懲りずに学級委員をしていた俺がみんなをまとめることに。。

んじゃあなんの劇をやるんだ?って色々案は出たがなんやかんやで『33分探偵』に決まった。

主演谷合!脚本谷合!監督谷合!

押し付けられた?いいや違う、堂本剛になりたかったんだ!俺は。

そして塾で勉強をしているフリをして、必死に脚本を作り、配役を決め、練習に励む。

結果、劇はお客さん満員の超大成功

 

その後、卒業アルバムの個人写真をとても気持ち悪く撮り、受験勉強のラストスパートをかけた。

結果として、成蹊大学に特待生として合格

高校生活の幕を閉じた。

 

あるある大学生の転機。

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大学入学後は、そのままテニスサークルに入った。

授業をサボり、サークル行って、バイトして、古着屋に通って、夜は麻雀してと超普通の大学生活を送っていた。

特待生として受け取った奨学金もあっという間に消えていて、

んー生活は楽しいけどもっと刺激が欲しいなーっと思っていた時に、親友の一人が留学に行くと言い出した。

小さい頃から、旅行好きの親に連れられて、ハワイやオーストラリア、アメリカに旅行経験のあった俺は、

留学?海外で暮らすの?超面白そう。と速攻食いつき。留学を決意。

親を説得し、一気に手続きを進め、決意から4ヶ月後には留学がスタート!

 

しょーまの人生を大きく変えた留学生活。

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『the OC』が大好きだった俺の留学先はもちろんカリフォルニア

おっしゃー!サーフィンして、夜は浜辺でBBQして、最高に楽しむぞ!!!

と浮かれて辿りついたところは一面砂漠の超田舎ww

海どこ?水着のチャンネーどこ?俺の青春はどこ?イメージと全然違うやん!!

それもそのはず、一口にカリフォルニアといっても日本よりデカい

ロサンゼルスのような都会もあれば、一面砂漠のど田舎もあるのだ。

大学1,2年生でろくに勉強せず、遊びまくってた俺は留学先の選択肢も限られていた。

イメージとのギャップに違和感を感じながらも、ホストファミリーに連れられアメリカの我が家へ。

そのホストの家には同い年くらいの息子がいた。生活開始して一週間後に気づいたんだけどホストの息子ではなく、ドイツ人の留学生だった。ドイツ人のMAXは英語が堪能で俺より一週間も早くホストの家にいて家族に馴染んでいたことと、俺は英語ができなかったから息子じゃないことに気づくのに3日かかったww

最初の3ヶ月はホストファミリーとMAXと楽しく暮らし、その後はシェハウスに転がり込んだ。

留学中に大学のアウトドアクラブに所属!

アウトドアクラブには日本人がおらず、現地の学生と他国の留学生と毎週アウトドアをして、英語を話す機会を作ると同時に仲間を増やしていった。

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思えばこの頃からアウトドアの虜になっていたのかもしれない。

アウトドアは英語が下手くそでもみんなで楽しめる。カヤックやサーフィン、トレッキングやロッククライミングなどアクティにティをした後にみんなでご飯作って焚き火を囲んで、語り合う。

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こんな最高のコミュニケーションツールないんじゃないか?

 

そしてなんやかんやで留学中に3台も車を買うことになったが、そういった失敗も含めて日本で普通に暮らしていてはできない経験ができた。

アメリカでは、連鎖的に友達が増えて、アメリカ人、韓国人、サウジ人、ドイツ人と色んな人種と交流できた。それぞれに個性があって、それぞれの思いや考えを言いたい放題。これは主張しないと埋もれると、多様な人種の中で谷合翔馬と云うキャラクターをどう表現するべきか、俺はどんなことをしたいのかとか考えていた。その結果(?)、坊主になった

長期休みはメキシコやカナダ、アメリカ国内などとにかく旅行をして、もっと新しい世界を見ようと活動しまくっていた。

留学後半は、向こうの大学で法律を学びながら、結果を何か残したいと思い。

TOEIC、簿記などを毎日勉強。その後、簿記を取得することはなかったが、450点だったTOEICは895点まで上がった。

 

しょーま学生団体PEG(Playing Earth Group)を作る。

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海外で短ら行動することの大切さを学び、帰国後すぐに学生団体の創立を決意。

留学の情報って学校の国際課みたいなところでしか情報を得ることできないし、何かそれってすごく事務的なもので、リアルな生活とかを聞くことができない。それってつまんないよなーって

じゃあ俺は、留学や海外に興味がある人と留学や海外旅行の経験者を繋げるコミニュティを作ろう。

それだけ決めたら、まずは行動!

友達の紹介やFacebookであったこともない仲間を集め、イベントを企画!

イベントの企画経験もなくて、段取りが悪い部分もあったが、やはりこのご時世に海外を視野に入れている人は多く、一発目のイベントでは60人も参加者を集めることができた。

しょーま商社マンになる。

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就職活動では、死ぬほど落ちた

なんとなく、留学したし海外と関われる仕事かなーっていう留学経験者あるあるの就活軸。

特にここっていう行きたい会社もなかった。結局大手自動車メーカーのグループ会社に決まる。

就活終わったらもう自由。バイトを二つ掛け持ちして、日本統一旅行や海外旅行をして卒業。

おっしゃー。商社マンになるし日本と海外を行き来してバリバリやるぞーっ!働くの楽しみだ!

ていう、やる気は半年で消えた。笑

周りで俺より休んでる人いないなというほど休めて、給料もそれなりに貰えるし、安定を求めている人特にやりたいことがない人には持ってこいの職場だと思う。

大手であればあるほど、慣習や歴史があって、今までのやり方をすごく大切にしている。新しいこと大好きの俺はすんごい違和感を感じていた

社会人になって、気軽に旅行に行けなくなった俺は、山にどハマり、毎週毎週山やキャンプに行きまくり、たどり着いたのは、

「もう俺らでアウトドアブランドつくんね?!」

いいねえ!と意気投合しACTIBASEを設立

 

本当にやりたいことを見つけるのに、25年かかった

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これまでにもたくさんのことに挑戦してきたが、続かないことも多くあった。

やべえ、カフェやってる人かっけえ!カフェ開くぞ!! Bookoffに行って本を大量購入するも、資金がウン百万必要と知り、挫折。

ふぁースケボーかっこいい!! やってやるぜと実家の納戸に眠っていたスケボーを掘り出し、早速近くの公園で練習!3回目くらいの練習の時に派手にこけて、「俺、一人でずっこけて何やってんだろう」と思い挫折。

学生時代でやり残したことはバンドだろ!! と何も考えずなぜかベースを買いメンバーを集めると結局ドラマーがおらず、ドラムを始める。三ヶ月ドラム教室に通うも、韓国人の先生に片言で「キミ、ウンドウデキナイデショ?」と言われた。それでも楽しかったから続けていたが、社会人になって引っ越し、ドラム教室に通えなくなって挫折。

などなど

俺はすぐにアツくなってすぐに行動するが、いつも途中で諦めて、続かないことが多かった

でも今までしてきたことが全部繋がって今がある。全部無駄じゃない。

そして今回はもう覚悟を決めた

俺は日本が世界に誇るアウトドアメーカーを立ち上げる。と

それでも、一年間はずっと足踏みをしていた

最初にある程度の方針を決めて仲間を6人集めるも、2016年10月現在の活動メンバーは2人だ。まだこれをやるって決まってないのに人を集めると、何をするにもどこか他人任せになってしまう為、なかなか前に進めなかった。

俺に、チームをマネージする力がなかったことと、組織としての方針が甘かったことが原因でもある。

結局、動き出すメンバーだけ残った。

そこで俺は猛烈に反省し、「とにかく俺が行動する。行動で人を巻き込んでいく」と決めた。

その後は誰にも頼らず自分で進めるしかないためどんどん動いた。

そのおかげで今ブログを始め、自伝の出版計画も始め、忙しくも楽しく活動ができている

サラリーマンの片手間で独立の準備をしてきて、今の生活を捨てる事がとっても怖いですが、夢の実現に向けて一歩踏み出します。

 

今後のしょーまの応援よろしくお願いします!!

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最後までお読みいただきありがとうございました。

今までいろんなことに挑戦して、失敗してきましたが、今後も全力で面白いことをしていきます。

俺が挑戦することを通して「しょーまでもできるんだから、俺にもできるっしょ!」って思ってくれると嬉しいです。

会社を辞めて、独立!!!

とは言っても、まだまだ無力なので、助けてください。仕事をください。応援してください。

よろしくお願い致します!

谷合翔馬

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しょーま

しょーま

ACTIBASE代表。 2015年成蹊大学卒業。大学時代に一年間アメリカに留学をし、人生が180度変わる。バックパッカーとして海外一人旅やヒッチハイク、都道府県全制覇など旅に目覚める。2015年商社に就職。休みが土日だけに絞られたため山に目覚め、ACTIBASE設立。 2017年10月自伝を出す。

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しょーま

ACTIBASE代表。 2015年成蹊大学卒業。大学時代に一年間アメリカに留学をし、人生が180度変わる。バックパッカーとして海外一人旅やヒッチハイク、都道府県全制覇など旅に目覚める。2015年商社に就職。休みが土日だけに絞られたため山に目覚め、ACTIBASE設立。 2017年10月自伝を出す。