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失敗が多いのに人生を楽しむ。ひろまさのプロフィール

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どうもこんにちわ!

ACTIBASE副代表のひろまさです!
Facebook Groupで登山仲間が作れるグループの代表をしています。

そして、この黒いやつだれだよって思っている方、大半だと思います。

素を知ってもらいたいのでひろまさの人生の軌跡を全力で書きました。

 

ぜひご覧ください。

 

簡単な略歴

安部浩正(あべひろまさ)。

1992年11月6日 現在24歳。

漢。

韓国ソウル出身埼玉育ち(母が韓国人で父が日本人)。

成蹊大学卒業。

大手電機機器メーカーに就職。

アウトドアが好きで好きで独立を決意。ACTIBASE設立。

体を動かすこと 楽しいことが大好き。

利き手利き足は右。

 

白人生誕(後に黒人へ進化)

赤ちゃん

1992年11月6日天使生誕。

韓国ソウルで生まれるが、父親の仕事のため1歳で日本へ。

父親は平日仕事だったので、日本語のわからない母親に韓国語でずっと育てられた。

俺は幼稚園に入ってから日本語を少しずつ覚えたのだが、文字を書くことがものすごく苦手だった。

そんなおれを心配した父親が一言。「ひらがな50音字が書けるようになったらゲームを買ってやる」。

ゲームに釣られたおれは本気を出した。1日かけてひらがなを練習した。父親にドヤ顔でテストお願いします、と頼み見事人生初のテストに一発合格。すぐに地元のハローマックにかけつけゲームを買ってもらった(任天堂64のヨッシーストーリー)

日本語でコミュニケーションが取れるようになってから友達が増え泥だらけになるまで遊ぶ少年になった。(泥のせいで肌が黒くなったと思ってる)

 

目立ちたがり小学生

小学校入学

1~6年生まで出会ったすべての担任の先生からは、家庭訪問で「明るく元気な子」だと常にお誉めのお言葉をいただいていた。

授業中も常に手を挙げて発表したり、クラスの学級委員に立候補したり、給食委員長になったりと目立つことが好きだった。

母が俺をエリートにしたかったのか、小学校時代は習い事がとにかく多く、週6のシフトだった。

特に母は、勉学(国語/算数/英語)に関しては本気だった。

おれはわざわざ大きい町の塾まで電車を使って通っていた。担当の先生が、若くてかわいくて好きでタイプだったので喜んで通っていた。

が、担当がおばちゃんに変わった途端に塾に行かなくなった。

 

母ちゃん、、、ごめん!笑 

 

また、運動をすることが好きだった私は、クラブチームでサッカーを6年間していた。関東大会準優勝、県大会優勝するなかなか強いチームに所属していたのだが、コーチは普段は優しくても練習の時はものすごく厳しくケツに蹴りなんて当たり前だった。

 

自分の弱さや恥ずかしさもあって、サッカーが嫌いになり当時流行っていたテニスを習い始めた。

 

中学校時代

中学時代

地元の中学校に入ったが、小学校の時に仲良かった人たちと学区が違ったため知らない人がほとんどだった。

入学当時146㎝だった身長は卒業時には165cmと進化。体重は52㎏となんともいえぬモデル体型だった。

 

骨が吹っ飛ぶ

テニスの王子様の影響でソフトテニス部に入部。小学校のときに少しだけテニスをかじっていたこともあり1年生からレギュラー入り。テニスはすごく楽しくて、部活以外の時間も地元でコートを借りて練習していた。

その甲斐もあって、何度か入賞し選抜選手にも選ばれた。

しかし、中学3年の最後の大会前に事件が起きた。

ひろまさ、スポーツテストで右手薬指骨折。全治6ヶ月。

ハンドボール投げに使うボールでキャッチボールしている最中にハプニング発生。

キャッチを誤って薬指の第1関節の骨が吹っ飛んだ。

もう間に合うわけもないのに、早く治して大会に出たいが為に病院に通い、ドSな可愛い女医に薬指を伸ばされ、泣き叫ぶ毎日。(しぇんしぇ痛いおおお)

 

大会前日、ドSな可愛い女医に出場したいと悲願したが拒まれた。

しかし、どうしても大会に出場したかったので、リハビリ師に「大会に出ることを諦めました。だけど、痛いんで包帯グルグル巻きにして下さい。」と嘘をつき、右手薬指関の第一関節がないまま出場。

県大会には出場できなかったが5位に入賞することができた。

 

おかげさまで、今でも薬指は曲がらないままになってしまった。後悔

 

“ライフ”(ドラマ)

俺は、中学2年生から中学3年生にかけて一気に友達を失った

初めはテニス部の友達(いっちゃん)がいじめられていた。しかも俺はいじめている奴らとも俺は仲がよかった。

俺といっちゃんはダブルスのパートナーでプライベートでもよく遊びに行くほど仲が良かった。そのため、いっちゃんがいじめられている間も何も変わらず毎日一緒にいた。

いじめている奴(主犯)らに「安部、いつになったらあいつ無視すんだよ」と言われ続けてきた。

俺はそれを無視し続けたのだが、結果いじめのターゲットが俺になった。

もともと仲が良かったやつも主犯に操られて敵になった。もう俺には、クラスの居場所がなかった。

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「あんたの席、ないからぁぁぁあああ」。机どしゃああああんみたいなことはなかったが、授業中に後ろから「死ねよ」、「なんで学校くんだよ」とかジャブはたくさん食らっていた。一番きつかったのは学校に着いたら上履きがなかったり靴を隠されたことだった。

そんな中、学校は1日も休まなかったし、先生にも親にも言わず耐え凌いだ。

 

思春期の俺が、親に上履きなくなったなんて言えねえぜ!?笑

 

「上履きのない生活は明らかにおかしい。」と考えたおれは、「足が大きくなったので上履き買いたいです」と親に頼み購入してもらった。

こういう経験から、いじめに対して真面目に考えるようになったし、人に簡単に操られるような人間にはなりたくないと思った。俺は俺のやり方で生きると決めた。

 

高校受験

中学で最後の大会も終了し受験期に突入。

中学1年からなんとなく塾には通っていたが、全く勉強をしてこなかったので行ける高校がほぼなかった(中学3年4月時  偏差値40@北辰テスト)

俺はバカだったしなんとなくしか勉強しなかったが、ある日を境に勉強に火がつく。

埼玉県の私立高校は、北辰テスト(外部模試試験)を受けて偏差値が基準値を超えていれば「確約」というものをもらえるのだ。

家から割と近いS高校に確約をもらいにいった時、担当の方に言われた一言でプッチーンきた。

「1番下のクラスすら確約は厳しいですね〜。ウチに入りたかったらもっと勉強して下さい。」

その日から俺は猛勉強。S高校を見返してやるために公立校を目指すのをやめ、塾は朝一番に行き、夜は塾が閉まるまで残って自習していた。

その努力もあってか、S高校の進学クラスに合格した。

 

ひろまさアイドル高校入学(ウォーターボーイズ夢見て)

高校時代

モデル体型からエセアスリート体型へ。

身長は3㎝しか伸びてないのに体重は12㎏増量。体脂肪率5%で坊主ガン黒。

 

アイドル高校入学

高校受験も終わり入学式まで暇だった俺は、友達とカラオケやら映画やら行っていた。

そんな日常から、ふと高校ってどんなところなんだろうと思い、高校青春ドラマ「ウォーターボーイズ」を見た。

ハマりすぎて、見終わってはすぐ次を借り、また次を借りるということを繰り返してた。

高校ってこんなに楽しいとこなんだ!自由だ!青春だ!彼女バンバン作るゾーーー!

 

なんて思ったのも束の間だった。入学式。

 

ほぼ男子しかいない。しかもクラスに女子が4人だとぉぉぉ!?!?!?

おれは入学するまで知らなかった。そこが元男子校だということを…。

しかもそれだけではない。

 

校則の厳しさがハンパなかった。

 

坊主で引っかかる頭髪検査(ナンデっ

衣装(バッグ、靴、靴下等)が全て指定(アイドルかっ

恋愛禁止学校(アイドルかっ

当時流行っていたプロフは先生に監視(アイドルかっ

 →リアルに「ひろまさくんとこれから◯◯で集合♡してデート♡」なんて書いたらそこに先生いるし退学させられる。(書かれたかった

まあ、そんな高校に通っていたけどなんだかんだ楽しかった。

 

気付いたらテニス部所属

俺は部活を何にしようか考えていた。中学の時テニスをしていたこともあって硬式テニス部(以下テニス部)も考えていたが、大学受験を楽に行くためにスポーツ推薦で行けたらいいなと思い、エアライフル部に入ろうかなと考えていた。(国体優勝していた)
※エアライフルとは、射撃の一種である。

そんな仮入部期間1日目に、中学の時にテニスの試合で知り合った友達にテニス部見に行こうぜ!って言われて、「見に行くならタダだし、後でエアライフル部行けばいっか」なんて思っていた。

テニス部に見学に行ったところ、新入生は少しだけコートでボールを打ち、後はコートの外で「いーち!にー!さーん!」と素振りをしていた。

おれは隣の人とラケットがぶつかってしまったので「ごめーん!みんなー!もう少し広がってー!」と言った矢先に事件が起きた。

ホワイトハウスから突如おっさん(顧問)が現れ、おれの前にきて一言。

顧問「なあに喋ってんだぁぁ、草むしれぇぇ」

俺「え、ラケットがぶつかっ…」

顧問(ホワイトハウス戻る)

 

俺は仮入部1日目にして、草むしりが始まった。

(※テニス部のペナルティは草むしりと坊主である)

 

顧問がやめると言うまで草をむしれということで、俺は2日目も3日目も4日目も…ひたすら草をむしり続けた。

気付いたら仮入部期間は終わっていて、俺はテニス部員になっていた。(エアライフル部見に行ってねぇぇ

そこは、ソフトテニス部あがりの人が多く、テニス部も結果を出すような強いチームじゃなかった。むしろ弱小チームだった。

 

そんななか顧問はめちゃめちゃ厳しかった。

 

「技術で負けるのはしょうがねえけど、体力で負けるのは悔しくねえのか!?!?アアン!?!?」っていう超根性論スパルタ熱血顧問だった。

練習メニューは、練習前のランニング10㎞、スクワット800回、練習後のランニング3㎞、それらが終わってから、みんなで輪になって手を繋いで右足あげて左足あげて屈伸するやつを60回っていうのを毎日反復。

 

本当に死ぬかと思うくらいしんどかった。

 

キツイ練習をこなして1年も経てば身体(横幅)も大きくなり体重は12㎏増量し体脂肪率は5%前後という現役レスラー体型になった。

 

ツライ練習に耐え続けた結果?なんちゃってだけど県大会団体ベスト16に入ることができた。

→俺は無勝

 

当時はあんだけ殺したかった顧問だったが今では感謝しかなく、たまに高校の練習に参加している。

テニス部のメンバーも本当に最高で、クセが強い人しかいなくて部室では毎日爆笑の日々を過ごしていた。

 

雪が降ってる中、同期がパン一でランニングしていたのは今でも忘れない。笑

 

大学受験

部活を引退してから、受験が始まる。

俺は楽に大学に行きたいと1年生の時から進路調査ではいつも推薦に丸をつけていた。担任も了承していた。

高校3年時の進路調査でもいつものように推薦に丸をつけたが、担任の考えが変わったのか一般受験になってしまった。

 

当時の俺の偏差値は40

 

焦りを感じたので予備校に通い始め、夜遅くまで勉強した。

自習室内のルールで「友達同士隣に座らない」だったり、「話してはいけない」など忠実に守っていた。わからない問題があった時は、紙に問題を書いて後ろに座っている友達に渡して紙のやり取りで教えてもらっていた。

しかしその行為に不満を感じた人がいたのか、室長に呼び出され反省文を書かされた。@夏期講習中

その時俺は深く反省し、わからない問題があった時は自習室外で教えてもらおうと思い友達に教えてもらっていたのだが、再びその行為に不満を感じた人がいたのか室長に呼び出され反省文を書くはめに。@冬期講習中

 

2度の反省文を提出したあと、退学させられた。ナンデッ

 

結果、センター試験では滑り止めもスベったが、一般受験で成蹊大学に合格した。

 

ひろまさ貴族の大学入学

大学生

大学入学後は、そのままテニスサークル入った。

俺の所属していたテニスサークルはみんなが思っているような「飲みサーチャラサーヤリサー」ではなく「芋サー」である(笑)

とは言っても飲み会は非常に激しいものだった。(ある奴のせいで入院したことは二度と忘れない笑

俺のサークルは、合宿時にグループに分かれて対抗戦を行う。そこで、現役最後の夏合宿でグループのリーダーになった。

リーダーとして、テニスも飲みも盛り上げることに徹し、グループ内の仲も深まり楽しさ満点のグループにすることができた。

合宿終了後は、各グループで「打ち上げ」を行うのがサークルの慣習だった。

俺はお酒がめちゃめちゃ嫌いで飲めないから、打ち上げは大学から割と近い「高尾山」に登ることにした。大学生活で一回は行ってみたかったから。グループのみんなは優しくて快く了承してくれた。マジ感謝

登山は幼少期にしていたみたいだが記憶がなく、初めての登山みたいなものだった。

なんとなくの気持ちで登ってみたのだが…

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これが超楽しい!登山中はコミュニケーションしか取らないし、なんといっても頂上からの景色最高!

 

この時からおれは登山にはまっていった。

 

ひろまさバックパッカーになる

バックパッカー2

大学時代は、毎日が夏休みで暇を持て余していたのでバイトして旅行の繰り返しだった。

大学生活最後は、一ケ月間アジア、東南アジアを周遊した。

おれは、一ケ国目のタイで、とんでもないことをしでかした。

タイに着いてからお金を換金する際に、泊まる予定だったホテルの場所を聞いた。空港から20分で着くとのこと。しかも換金のお兄さんは優しくて、英語の住所をタイ語に変換してくれた。マジ優男

タクシーに乗って、運ちゃんにタイ語に変換した紙を渡し、いざホテルへ!!!

 

のはずが、1時間経っても着かず…。

 

カモられたと思ったおれは、タクシー内でブチ切れ「Fuuuuuuuuuuuuck u!!!!!!!!」と怒鳴り散らした。

そのあとの運ちゃんの「Go police」の一言でおれらは「タイ国際警察署」に着いてしまった。

示談で解決したが、まさか初めての観光地が…(笑)

しかも、泊まるホテルは「タイ国際警察署」の目の前にあった(笑)

 

なんやかんやあったが、旅行は楽しかった。テニサー3人での旅行だったためテニス欲が止まらず最終日に「テニスしよう!」ってなり、現地でコートやラケット等レンタルし33度というくそ暑い中6時間テニスした。マジ死ぬかと思った

さあ帰るぞ、の時にさらなるハプニングが起きた。

お金が足りない。おれら3人の持ち金足してもお金が足りない…笑うしかなかった。

おれらは受付の40代後半であろうお姉さんをカタコト英語で必死に口説いた。We are friendとか訳分からないことを言ったおかげか、すんげえディスカウントしてくれた。マジ好き

心の中で、警察署だけは勘弁だと願っていた(笑)

 

ひろまさSEになる

卒業式

就職活動は、持ち前の明るさと勢いでものすごくうまくいった。

安定、ホワイトという理由から、大手電機機器メーカーのSEになることに決めた。

就活終わったら、卒業までは日本統一旅行や海外旅行をして卒業。

 

よし!!新天地で花を咲かせてやるぜ!!!

 

ていう、やる気も半年で消えた。笑

大手であればあるほど、慣習や歴史があって、今までのやり方をすごく大切にしている。新しいこと大好きの俺はすんごい違和感を感じていた。

社会人になって、簡単に長期旅行に行けなくなった俺は、学生時代に少しかじった登山にドはまりし、アウトドアが頭から離れられなくなった。

そこで、先輩と「アウトドアブランド」をつくろうぜ!ってことで

ACTIBASEを設立。

 

今後もひろまさをよろしくお願いします!

最後に

最後までお読みいただきありがとうございました。

今までいろんなことに挑戦し多くの失敗をしてきました。

失敗の多いひろまさを見て「反面教師」として見ていただけると嬉しいです。

また、失敗を繰り返しているひろまさはこれからも成功するために挑戦し続けます!

応援よろしくお願いします!

関連記事:会社を辞めてまでACTIBASEを設立しようと思った理由

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ひろまさ
ACTIBASE編集長。ソウル出身埼玉育ち。2015年成蹊大学卒業。高校の修学旅行でオーストラリアに行ってから海外にはまり、旅行が好きになる。バックパッカーとして東南アジア・アジア周遊したりヒッチハイクや都道府県全制覇など常にネタを作るために生きてる。2015年製造業に就職。社会人になってから登山を本格的に始め、はまり、ACTIBASEを設立。




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ひろまさ

ACTIBASE編集長。ソウル出身埼玉育ち。2015年成蹊大学卒業。高校の修学旅行でオーストラリアに行ってから海外にはまり、旅行が好きになる。バックパッカーとして東南アジア・アジア周遊したりヒッチハイクや都道府県全制覇など常にネタを作るために生きてる。2015年製造業に就職。社会人になってから登山を本格的に始め、はまり、ACTIBASEを設立。